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『鍼灸医術の門』 柳谷素霊著

第四節 経絡

 病源の起るところは臓腑に本づき、臓腑の脉は手足に出で、手足三陰三陽の脉、腹背に循環して至らざるところがない、その流行不止、環の端無きが如しとのべてゐる、陽は天気に出で陰は地気に出る、天の気は降り陽経に沿ひ、地の気は升り陰経に沿ふと。
 吾人生物は先天後天の気血をうけ、この気血が経絡を環周して止まず、終始流注し、生物をして生々活動の源泉を与へてゐるのだと説く、いはば、生命体をして生命体たらしめてゐるのは気血であり、この気血を循環せしめてゐるのが経絡だといふにある。
 従つて、この経絡上にある穴を処置することによつて病気を処置することが出来ると考へたのである。
 こういふ、考へ方から、穴は診断の場であると同時に治療の場であると云はれるわけである。穴はこうして、経絡の基盤に立つて、ここに無数にはりめぐらされた電線中におかれてある安全器の役割をもつとめてゐるのである。
 手足にある三陰三陽の経絡の外に奇経八脉といふ経脉もある。だから、経絡といふと二十あることになる、『本草綱目』の奇経八脉考に「奇経八脉は十二正経に拘制されない、表裏の配合がないので、奇経といふのだ、正経は溝渠に比すれば奇経は湖沢のやうなものだ、正経の脉が隆盛となると奇経に溢れるのだ」とある。
 それでは、このやうに謂はれてゐる経絡といふものは、現代医学的にみて何にあたるのだと聞かれては、返答に困まるのである。
 現代医学的方法としては解剖して見るか、顕微鏡で見るか、レントゲン線で見るかしたら分るだらうと考へられる、が、事実は解剖してみても、我々が経絡だと指示したところには、皮膚組織、筋膜、筋肉、神経組織、血管組織、骨膜、骨組織、淋巴管、及体液を見るに過ぎない。顕微鏡でみても、これ等局所解剖学的、組織学的所見以外には何も掴むことは出来ない。レントゲン線で透視したのでは、それこそ何もなくなる、さようなものだつたら、無いのではないかと反駁されるかもしれぬ。
 見ることの出来ないものは無いものだとは云えぬ。ものゝ存在は見ることが出来なくとも有得るものだ。視覚の範疇に入らないものは見ることが出来ない。が、香ぐことが出来、聞くことが出来、味ふこと出来、感ずることが出来る。それ等は一つの存在形式を示すものだ、夢は掴むことも握ることもできないが、まさに見ることは出来る。我々の感覚ではどうしたつて太陽は東から昇り、西に没する所謂天動説を信じない訳には行かないが、理性は地球が動くのだといふ、このやうに物の存在と真実はそれぞれのありやうを持つものである。
 経絡もそうなのである、見ることは出来なくとも存在することは確かなのである、我々は経絡に立つて、その存在を前提として臨床上に効果をあげてゐる、そればかりではない次の二三例の実験は経絡の存在を示すものでさえある。
(一)経絡に沿ふて鍼灸の感覚が起る―これが其の一である。崑崙穴(足外踝の後方)に鍼灸して、足の太陽膀胱経といふ、頭、項、肩、背、腰、尻、大腿、下腿後側、足部に貫通してゐるいわれる経絡に、電気的なピリピリとかズンズンといふ響がつたわる。
 丘墟穴(足の外踝の前際の陥凹部)に鍼して、足の少陽胆経といふ、外眦、頭角、頚、肩前、腋、体の外側、大腿外側、下腿外側、足背第四趾に循行してゐる経に沿ふてズンズンと響くのである。
 このやうな感覚は鍼し灸されるものに、まさしく、存在するのである。暗示ではない、自然発生的に患者の方から、そういふのである。このやうな、在りかたもやはり存在には相違ない。感覚の上に於いて存在するのである。このやうな在り方を神経伝導学説で説明できないものか、と、実は真摯な医学者がやつてはゐる、が、まだ明瞭に組織立てられる段階にはなつてゐないやうだ、つまり、科学化されてはゐない、が、事実このやうな感覚が生起するかせぬかといふ実験は、なんでもないことである。丘墟穴なり崑崙穴なりに鍼を刺しさえすればよいのである。(但し、個人差、技術差が条件となることを忘れてはならぬ)
(二)動物実験の例―兎の頭の毛をそつて、真中に灸を据えた、灸の刺戟の為に毛根が刺戟されて発毛することは常識でも考へられる。且つ、灸刺戟の周囲から発毛しそうなものだが、事実は案に相違して縦列に発毛したといふ例が鍼灸学界に発表されたことがある。兎の督脈に施灸した実験である。動物には動物の経絡がある。原典とも見るべきものは中国版『療馬大全』であらう。動物による経絡の研究には最も必要な文献だと思ふ。
(三)X線による研究―バリウムを空腹時に飲ませ、X線写真を撮る、足の三里穴(胃経)に刺灸して後又写真を撮る、施鍼灸前と後とを比較する、次に他経に鍼灸して、同様写真にし、これ等を比較して、経絡の存否を決定出来る、これは直接人間を生活体のまゝに研究出来る最もよい方法だ。我々はこれを「動態基礎医学的研究」という。
 この他体液の分泌、臓器のはたらき等について鍼灸施行前後の比較が実験的に出来る訳である。此際、経絡刺戟と経絡外刺戟との比較研究も是非せねばならぬことである。
 殊に、柔道に於いて前記せる如く、胆経上の臨泣穴、地五会穴(柔道の草がくれ)に打撃を与へて胆の障碍を起し、肝脾腎三陰の経の交るところの三陰交に打撃を与えて、肝脾腎の障碍を起す等の事実は実験することにより新しい知見が出ることであらう。
 このやうにして経絡の存否を生体実験的に証明できるだらうし、ここに、科学化の鍵がある。このやうな方法に於いて、生体実験真実なる相に於いて経絡の存在が明白となるならば、現代医学に新しい素材を提供し、これをして、一歩前進せしめる踏石となるであらう。

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