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『鍼灸医術の門』 柳谷素霊著

第六節 三焦諸論

 三焦は漢方医学に於て難解なものゝ一つである。三焦とは何物か、それについて、先人達は色々とその解釈に苦労した。
 難経三十八難に「三焦は原気の別使、諸気を主持し、名有りて形無し其経手少陽に属し、外府といふ」とあり、三十一難に「三焦は水穀の道路、気の終始する処」とある。
 そして、上焦は心下の下鬲、胃の上ロにあつて、内れて出さざるを主り、霧の如く、五穀の気を化す。
 中焦は胃の中脘上らず、下らず、水穀を腐熟し、津液を蒸し、漚の如く、精微を化し、肺に注いで化して血と為り、生身を奉養す。
 下焦は膀胱の上ロにあつて、漬の如く清濁を分別し出して内れず、表裏の水を通じ、汗と尿とを瀉す。
 とある。これだけでは、何んのことかわけが分らないのは、さもあるべきことである。
(一)素問霊蘭秘典論には三焦は決瀆の官、水道これより出づとあり。
(二)中蔵経には三焦は人の三元の気なり、五臓六腑、営衛経絡、内外左右上下の気を総領す、三焦通ぜば内外左右上下皆通ず、身に周りて体に灌ぎ、内を和して外を調へ、左を栄し右を養ひ、上を導びき下に宣ぶるに於て此より大なるはなし、三焦共に気治るときは脉絡通じて水道を利す、惟だ三焦独り大にして、諸蔵与に匹敵無し、故に名づけて是を孤之府といふ」といふ。
 その後、唐容川氏(現存、中国人)は「三焦は人身上下相連の網膜膏油なり」と云ひ、我国でも石坂宗哲は「医源」に三焦の二字古への一字に作る、は臓なり、其象常の大さの如し、脾に属して、胃下に横る」といひ、三谷公器は「解体発蒙」で「上焦は胸管・中焦は膵臓、下焦は乳糜管なり」とす、寺島良安は「和漢三才図会」に「三焦は上焦中焦下焦の謂なり、焦は火の類に象る、色赤く陽に属するの謂なり、腔腹の周囲上下全体に於て大嚢のごときものなり」といひ、石戸谷氏は「三焦は内分泌系統なり」と、久米嵓氏は 上焦は肋膜、中焦は横隔膜、下焦は腹膜なり」といふてゐる。或は交感神経系統に於ける上神経節、大陽叢、下腹叢といふ説もあり、和名では「美乃和太」ともいふ。
 かやうに、種々な説があるが、じつくりとこれ等の説を眺め、且つ臨床からこれを検討したらどうなるか。
 霧の如く、漚(オウ)の如く、漬の如しといふは用の面を言ふのであるし、難経の「無形有名」とみることが出来る、決瀆(水をはき出す溝)同様である。網膜膏油然りである、和名美乃和太も同じである。焦といふ字解からはたらきを示すと見ることが出来る、上焦肋膜、中焦横隔膜、下焦腹膜はその部処に於けるはたらきとも考へられる。又石坂宗哲のは臓なり膵なりとするもその作用と見るがよい。
 ともあれ、三焦は鮭のメフン(血わた)の如く即ち美乃和太であり、ホルモンであり、エネルギーであり、従つて熱であり、水穀精微をして力(酸素)ならしめるものであり、下焦に於いては精ホルモン(腎精)であり、と理解されてよいと思ふ、こう見れぱ原気の別使ということも分り、「無形有名」ともなり、更に「気の終始するところ」とも分るわけである。全身に存在して各々をして、連絡発生せしむるはたらきあることも、全身の大嚢であることも分る思ふ。焦は火であり、エネルギーであり、熱であることは分つた。これが、生体の原気と見るは何んの差支えもないではないが、たとへ、形あるものとしても、一定の形なきものであるから、「無形」のものであつて差支えない、然も各細胞の膜及液のはたらきとなりて全身の各所にあつてそれぞれの活力となれば心臓より出る血に比しての別使とみるのがあたりまへである。然もその代表的なもの、然も最も焦のはたらきのあらわれてゐるものを三つの焦のある部分と見るに何んの差支えがなからう。
 こういふことは全体綜合的に人間をありのまゝに眺めるとき、全一としての相関関係からながめ、細胞個々の生活とその環境について考へるとき、そこに、はたらくものとして三焦を考へることは理の当然である。これを三焦経に連関せしめ、「外府」とし、大にして全身を被包し、部分に於いて各細胞間の連絡をはかるより「孤之府」とみるも又当然、それ等の間の新陳代謝の作用なす為に入れ且つ出すは、まさに、「府」であり、「焦」である。
 これ又、古典の原典批判によつて、新しい科学によつて、やがてその真相がつかめる時代が来るであらう。
 とにかく、我々はかゝる作用を為すものを想定せる古人の経験力におどろくものである。
 原気をつけるに、これ等生機の源たる三焦の示現する、三焦経、膻中、中脘、開元の諸穴をよく澤田健氏等が使ふのは理由なきわけではない。
 先天に於いて、先天の気は父母の気に於いて虚実があるべく、後天に於いて飲食精微の如何は気血をして虚実せしめ、原気これが為に強弱を生じ、従つて原気の別使たる三焦これが為に作用に盛衰を示し、身体これが為に消長を示すは理の当然である。これを治する、君火に直接せず、相火たる三焦をねらうは、何んと治療学的に妙手なりと考へぬわけには行かぬではあるまいか。

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