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『鍼灸医術の門』 柳谷素霊著
 第八節 四診(5/6)

イ、脉診

 脉診は漢方医学の最も特徴とするところで殊に東邦医学に於ける後世派医学の最も重用視するものである。
 現代医学が心臓を最も重要視し、聴診器によつて、その機能を生態の事実のまゝに把握せんとする態度と通ずるものである。
 脉搏は心臓の一縮一張によつて生ずることは古今の常識である。脉は従つて心臓の外候と云はれ、脉の状態は即ち心臓の状態を知るものである。洋法医学が心臓を大事にし、東邦医学が脉を大切にするはその軌を一にするものと思はれる。
 脉象は心の作用に種々なる身体的環境がかさなり合ひ組合つて人間の生機を示すものである。
 春夏秋冬によつて我々の生活体は異ふものである。冬は寒く、夏は暑い、冬は四肢末端の血管縮小するが故に脉は沈み細る、夏は拡張するが故に血管は太く洪となる、それが自然のまゝである、冬に夏脉即ち太く洪の脉をあらはす人はその人の内外の環境即ち全体の身のありやうは夏の状態に置かれてゐると同じ状態たることを物語るものである。反対なことが、夏に冬脉をあらはす人に云える。即ち、冬に夏脉洪を現はすは熱ありと見られ、夏に冬脉を現はすは寒なりと見られた、これも自然の理である。
 一日のうちにも身体の状態によつて異る、入浴前後の気持が異るが如く、脉も異る、静坐と疾走後との脉の異るは誰れでも知つての通りだ。静座や驚恐悲哀等によつても心脉に影響することはこれ又人の知るところである。びつくりしたり、驚ろいたり、嬉しかつたりすると心臓の鼓動が高鳴るは誰れでも知つてゐる。 青春の若人が、おほげさに胸に手をあてる図は自然の動作としてよく見受けるところだ、犯罪捜査に又は嘘偽の有無を検するに実験心理学ではとつくに取上げてゐる点もこゝにある。自然なりや否やを環境と行動に於いて、その喰違ひを見出すことによつて鑑定するのである。
 漢方の脉診もこのやうに経験的に実験して、集積し、分類し、意味づけしてこゝに我々の時代にのこされた。先哲の遺産である。軽々しくこれを非科学的なりとてすて去るべきものではない。よくよく吟味し古人の行ひし道を実践にうつさねばならない、自分の技倆が判別の能力あるや無きやも省りみず、又その能力に達せんとの努力もせずに、これを、迷信邪説とする態度ほど 非科学的な態度はない。
 脉は一息に四動搏つが平人(健康人)とされてゐる、今日の医学と同じだ。我々はこうした自然認識に立つて先哲の道を履み道の高きに至らんとする者であり、且つその臨床的効果を信ずるが故に敢えて世に問ふ所以でもあるわけだ。
第二図表 六部定位、三部九候脉

 我々は前出三部九候の脉を前提とし病の陰陽虚実臓腑経絡を決定する所以のものも又如上の信念に立つに外ならない。
 六部定位(じようい)の配当にば古来種々なる説がある。男女逆位を説くのも近世にあつたが、典據のないものである。我々は実際の臨床家の手振りを信ずるが故に掲出のものを取る所以である。要は「治療の為めの学問である」これが、我々の求道の據る精神である。臨床に用なき学問は今の我々にはどうでもよいのである。
 さて、前掲の図を説明する。これは只今の橈骨動脉部を指触して見るのである。この部で五臓六腑の陰陽虚実を診るといふなら、さぞ奇怪に思ふ仁もあらう。が、古人はこれでやつて来た。それに基づいて治療の方針を立てゝ来た。「治す為めの前提」として我々もやつてゐる。臨床的に奏効を呈してゐる、だからこの通りやつてみられたいといふまでゝある。論議は証明を経てからのことである。実験してみてからのことである。定理はかくして確立する。
 図中寸ロといふのは腕関節横紋の上位であり、こゝに一本の指腹をあてる、関上はその次に、つまり橈骨茎状突起の前側になるところに、寸ロにあてた指とならべてつける、尺中は同様関上につけた指にならべてつける訳である。
 つまり、示指、中指、環指を三本揃へてその指腹を橈骨動脉部につけるやうにするのである。
 図のやうに左右を六部位にするので、これを六部定位の脉ともいふ。そして、これを診る方法だが、一部に対して(一本の指で触つてみて)軽く(浮)、やゝ按へ気味に(中)、少しく強めに(按)おさへるのである。これを、浮、中、沈といふのである。一部に三つの押しやうで候ふから、三候である。これが片側で三部あるから三部九候といふのである。脉を伺ふこと五十動の間指を切してをくのである。
 浮法で図中の腑を候ふ、沈法では臓を候ふのである。腑は陽で上にあり、表にある、臓は陰で下にあり裏にあるから、腑を見るには浮めて軽く診、臓を見るには重めにして沈めて診るのである。中法で穀気(胃気)の脉を候ふとされてゐる。
 右手の寸ロには図に示すやうに、大腸、肺、関上には胃、脾、尺中には三焦、心包、命門、左手の寸ロには小腸、心、関上には胆、肝、尺中には膀胱、腎として、これを候ふのだが、浮法で 腑を、沈法で臓を候ふのである。例へぱ右手の寸ロを浮めて診れぱ大腸を、左手関上を沈めて診れば肝を候ふといふ訳である。こうして、指で触つてみて、力があるか(実)、力が無いか(虚)で 臓腑の虚実を決めるのである。臓腑の虚実さえ決まれぱ、後述の治穴配合が決定出来、後は補瀉の手法によつて鍼なり灸なりを施せばそれで治療が出来るのである。第一図は後出「五行要穴図」と合せて、すぐ要穴が出るやうになるのである。
 診脉の心得として昔しから次のやうに云はれてゐる、医者の手指を端正にし、心気を沈め、脉にとらわれることなく、脉を考へず、虚心坦懐にその応ずるところを感得するのである。指を浮めて指に通ふは気の往来である押して力あり、大なるは気の実、力なきは気の虚で、衛を候ふのであり、腑を候ふのである、指を按めて力有るは血の実、力なきは血の虚これ営を候ふのであり、臓を候ふのである。気血営衛については出説した通りである。
 又、病人の脉に触れると同時に脉部に於いて、皮膚、皮下組織、筋肉の潤枯(栄養状態)を診、これによつて体質、素質、全身の栄養状態、筋緊張状態を察知するのである、これを脉外を候ふといふ。
 水府の侍医、原南陽先生が「健脉を三ヶ年診て病人の脉に及べ」といふてゐるが、いかに修練を要すべきかはこれにて知ることが出来やう。
 脉は診るものゝ気持によつて、細と思えば細く見え、結と思えば結ぱれて見ゆるものだから、 心にこれを見ず、思はず、ただ応ずるを察せよといふてゐるが、味ふべき言で、思惟を以つてせず、直観的な把握の方法をせねばならぬ、運転が手に入れば意識せずに、自転車でも汽車でも自動車でも無意識に反射的に操縦が出来るやうに百練自得によりて会得せらるゝ境地を古人は望んでゐるのである。
 胃気の脉は穀気(元気)を候ふの脉で、中ほどの強さで押へ候ふことによつて得られるものである。胃は土で、中央に位し、和緩なるをとうとぶ、胃気の脉幽ならぱ死近しと知り、絶えたならぱ急死と知るべしといふ。胃気虚せば水穀化せず、元気衰へたると知るべしと、胃気の脉は若人にて五日や十日の病にては無くならぬが、久病労瘵久痢、腎虚老人には衰退することの多いものである。又、胃気の脉は肺は肺ながら、胆は胆ながらの脉あるを胃気の脉ありといふ。肺脉胃気の出でざるは不順にして病なりとす。
 寸ロは魚際より一寸の分に、尺中は尺沢と魚際との間を一尺として下の一寸の分を、関上は寸位から三分、尺位から三分の分をもつて関部とす、つまり尺部は七分、関部は六分、寸部は六分の分にあるといわる。
 難経には脈の軽重に肺部(三菽の重さ)心部(六菽の重さ)脾部(九菽の重さ)肝部(十二菽の重さ)腎部(十五菽の重さ)に於いて按ずべしとある、この心をもつてせよとの事である。
 古来脉をいふには二十四脉、死脉、怪脉等がある。更に陽脉七表之脉(浮、芤、滑、実、弦、緊、洪脉をいふ)陰脉八裏之脉(微、沈、緩、濇、遅、伏、濡、弱脉をいふ)九道之脈(長、促、短、虚、結、牢、動、細、代脉をいふ)に細別する。が、詳細は別著にゆづり、こゝには最も使へるもので要穴図を配合するに足る祖脉を述べる。
 祖脈は「おや脉」ともいふて浮、沈、遅、数の四脉であり、これに、虚脉、実脉が分れぱ、先づ脉はとれる。次にこれをのべよう。

第三図表 祖脉虚実脉
祖脉脉象
浮脉表、陽にある脉で、軽く指を切し、膚と肉の間を押へるやうにする、軽く押へて有餘、強く押へて不足する脉陽、表、風、虚をあらはす
力あるは実―邪気外感(風邪)
力なきは虚―元陽之虚也
沈脉裏、陰にある脉である軽く押へてふれず強く押へて有餘の脉である陰、裏、湿、実をあらはす
力あるは実(積)陽気実
力なきは虚(気)精血虚脱
遅脉一息に脉来ること二又は三搏よりうたぬものをいふ、来ること遅き脉なり寒、陰、湿(邪)積滞をあらはす
力あるは痛、積
力なきは寒、痒
数脉一息に脉来ること五搏以上のもの、来ることの速い脉である数は進なり、陽、熱、火、燥をあらはす
力あるは熱
力なきは瘡

虚実脉象
浮沈倶にあり、触つて力強く感ずる脉なり、指下迫りて緩かならずしてみのる脉実、凝滞、毒、火をあらはす
浮沈倶に実あり
虚火に生ずるものあり
浮沈倶にあり、触つて力弱く感ずる脉なり、指下軟なり血少、傷暑(脱気)心血虚なり

 以上の脉から病人の脉を診て結局は虚実を決めればよいのである。例へば、左関上の脉を見て、指下、浮法で診て浮脉を得、数脉で力あれぱ、胆の実であり、遅脉で力なければ胆の虚脉である。沈法にして力あれぱ肝の実であり、力なければ肝の虚である。
 他の部位もかやうにして虚実を弁ずれぱ、補穴、瀉穴がこれによつて出されるのである。後は補瀉すれば治療は終りなのである。
 それから、死脉は一応心得て置く必要がある。 死脉あらはるゝ時は鍼灸を施さぬのが本道である。七死脉と称せらるゝは次の如きものである。
    死脉
  1. 弾石―石を弾くが如く、息数次第なし、
  2. 解索―散乱して次第なし、
  3. 雀啄―鳥の啄むが如く、数急に連り来るもの、
  4. 屋漏―雨漏りの二三滴して絶ゆるが如きもの、
  5. 蝦遊―脉来りて動かず、しばらくして去つて後又来るもの、
  6. 魚翔―遊魚の頭定まつて尾をのみ揺が如きもの、
  7. 釜沸―湯の沸き立つて沸泡のあるが如きもの、
以上七種の脉が出たら、死脉として鍼せず灸せざるものであつた。

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